自分にとって大切なもの②

  • 2017.12.20

自分にとって大切なもの②

 

おはようございます、安田ふくこです。
昨晩は、子どもたちが寝た後で
2度目の記事投稿☆を目論んでおりましたが…
昨晩のうちには投稿ならず…撃沈。
やはり三男ケイ(3)、寝付きが悪いですゲッソリ
お昼寝が長すぎるのかな…。
翌日投稿と、相成りました。
ここ最近は 
起きるもネンネも
イヤイヤ祭り
°・(ノД`)・° 
昨日の話の続きです。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
高校受験では「合格したら描こう!」と
絵を描くことを極力ガマンし…ショボーン
何とか志望の高校に通えることになりました。
しかし、思ったよりむずかしい高校の数学ガーン
先生に指される時は、予習してないと全然答えられない!高校生って忙しい!
私は、数学や化学や物理(つまり理数系)
すごーーーく苦手でした!!!恐竜くん

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日本史や世界史は好きでした。
こうだったのかな…と想像するのが
なんか楽しくて地球
吹奏楽部の友達に恵まれ
部活の時間はとても楽しく過ごしてましたが
どうにもこうにも分からない
理数系の授業は苦痛でしたもやもやガーン
次第に居眠りの常連になりました…zzz

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すみません、当時の先生方…ガクリ
私の父方の祖父は書道をしておりました。
近居だったので
私は高校から帰宅すると、よく
自身の書道の世界を追究し続ける祖父の姿を見に
「ただいま」がてら祖父母の家へ立ち寄っておりました。
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昔は、ちゃぶ台をひっくり返すような
(ザ☆昭和!)

激しい性格だった祖父は (ノ-“-)ノ~┻━┻

70代になると穏やかになりピンク薔薇
ちょっと飄々とした不思議さを持つ
お茶目な爺さんになりました。
私が絵を好きなことを嬉しがって
(祖父の書は、まるで絵画のように自由で美しいものでした)
よく「好きな気持ちを持ち続けよ」と応援してくれていました。
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一方母方の祖父は、その点とても現実的で

私にとって、とても厳しい意見を放つ人でした。
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自分自身にも1日のノルマを厳しく課すような

真面目で頑固で正確で、体も意志もガッシリ強い
そんな人でした。
それは私には無いと思われる強さで

それはそれで昔から尊敬する部分でもありました。

時は流れて大学受験のころ
私は父に勇気を振り絞って
 

美大について相談しようと思いましたが

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(上差しこの2人、親子です上差し

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) ※勿論一般論ではなく父の見解です。

 
でもじーさん…  
確かに大昔はロクでも無かったらしいな…。
 
 
詳しく相談できぬままに
父とはよく喧嘩状態になっておりました。
 
私は遅く来た反抗期だったか
父は(今思えば)仕事が大変だったのかも知れません。
父と顔を合わせては喧嘩になる日が
もう毎晩のように続きました。
ある晩の父との言い争い後
すでに布団の中で寝る母に
おやすみの挨拶をしに行った時のこと
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疲れてたはずだったけど

母は、起きていました。

 

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いつもは忙しさから

ピリピリ ガミガミしている母に
 
突然 こんなことを言われ
 
まともに返事ができないくらい
驚いたのと
 
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思うように

 
私の、思ったとおりに
 
私を、生きて良いんだと
 
 
 
心配なんかしないでいい
 
大丈夫だから
 
それを、私を産んだ母が
言ってくれたことに
 

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ありがたいような
申し訳ないような
 
もう充分過ぎるような
 
言い表しようが無い
ぐちゃぐちゃの気持ちになって
 
瞳や鼻の、奥のほうから
 
色んな思いが溢れてきました。

自分の部屋に入ったとたん

私は、言葉ではないような音を出しながら
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身体の奥のほうから出てくるような涙を流しました。

それからの私は、父と言い争うことも何だか馬鹿らしくなり
何だか もう全てが充分な気がして
美大ではない
大学受験の勉強をするようになりました。
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今でも、あの涙は 何だったんだろう…と
よく分からない。
美大に
特に強くこだわることもなくなったのも
何故なのかは、よく分からない。
でもあの時 私は
母の見えない手で
背中を支えられてるような気がした。
そしてその手は
私がこれから何処へ行こうと
ずうっと私の背中に在るもので
多分、母と私が
違う場所で生きることになっても
ずうっと私の背中に在る
私のつるぎのようなもの
それさえあれば、もう充分だ
 
そう思えたのかも知れない。
 
そんな
自分にとって大切なものがあることを
自分が母になって10年も経った今、思い出すことができました。
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あとがき

 

時が来たら、それを
 
今度は私が 子どもたちに
渡してあげる番なのだと思う
 
いつかみんなが
受け取ってくれる時まで
 
私の背中で
 
大切に、あたためておくからね
 
今日も元気に行ってらっしゃい。
 
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