私の母と父

こんにちは、ふくこです。
夫と3人の息子たちと暮らしています。
◇・◇・◇・◇・◇・◇・
長男ハル(小5)・次男ツトム(小1)
ともにADHD・自閉症スペクトラム
三男ケイ(4歳)
いまだイヤイヤ(自己主張)期・継続中
 
3兄弟とともに過ごす日々で、母の私が感じたことを
イラストを描きながら記録していますチューリップ黄

私の母と父

 
※前回『ケンさんに相談』で書いた長男ハルの話の続きです。

ケンさんに相談

で… 突然すみませんが(^^;)
自分の子ども時代のことに遡ります。
 
 
 
 
私が小学生のころ『最も憧れていた女性は誰か』と言われたら
それは母でした。

私の母・タケコは小学校の先生で
夏休みなどもほとんど学校へと足を運ぶ、すっごく忙しい人でした。
母は、同僚の先生や
生徒さんからの信頼がとても厚く
たくさんの人から慕われていることが
子どもである私にさえ、ビシビシ伝わってくるような人でした。

母・本人も仕事に対して
生きがいを感じて過ごしていたと思います。
いつも仕事に全力で
いつも真剣(でも楽しそう)。
「先生」の母は、とても輝いていました。
外(仕事)へと向かう母の姿は
家に居る時の母よりも、ずっとイキイキしていました。
そのことに誇りを感じることもありましたが

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…本音は「寂しかった」です。
*今ワーママの方々、ごめんなさい。
「私の幼さだった」と分かってます。
 
ワーママの子どもが皆そう感じる
わけでは全く無いと思います。
これは、単に「私の場合」の話です。

いつも家の中から「おかえりー!」と
お母さんの声が聞こえる友だちのことが
下校の時は、とても羨ましかったです。
夏休みに絵日記の宿題がありましたが、その中の1ページに
『今日はおかあさんがウチにいました。
 とてもうれしくて、なみだが出ました。』
そんなことを書いた覚えがあります。
いつも母が家に居ないから
私は妹のことを見なければならないので
好きな友だちと一緒に遊ぶことを、諦める時もありました。

毎度 母が来られない私の授業参観には
この父が…学校へ来てくれることが多かったです💧

当時、私のクラスはお父さんが授業参観に来る子は居なかったので
それにこのちょっとアレな雰囲気だからガーン

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何かとクラスの友だちには珍しがられました。
だけどそれは仕方がなかったし
そのことで、変な騒がれ方をしたわけじゃありません。
本当は母に来てほしかったけど…
来てくれた父には、感謝もしていました。
とにかく母は、仕事にのめり込む人でした。
家に帰ってきても
「今日は生徒がこんなこと言ってね。嬉しかったなぁ!」とか
仕事の話をしてばかりでした。
大変なときも勿論あるようで
愚痴も、私にはたくさん話してきました。
でも
私の学校での話はあまり聞いてくれず
辛かったことを話しても「気にしないの!」だし
私は、勉強も運動も
「全力で頑張ること」をしなければ
認めてもらえないような気がしてました。
母は「~しちゃダメよ」が口癖でした。
コーラやファンタは飲んじゃダメ。
バラエティ番組やドラマは見ちゃダメ。
ファミコン(←時代)はダメ。
私は、母を困らせたくなかったので
母の言うことはいつも聞いていました。
私にとって、母は「絶対」の存在でした。
 
 
*暗いお話みたいになっちゃって
ごめんなさい!
 
今は、この時代のような母ではないし
大人になった私も、また変わりました(^^)
 
そうなるまでに色々とありましたが
「おかげで今があるんだ」と思っていますクローバー

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